きんもくせい
第一一六号 国際民族文化研究所
二〇一二年一月九日発行
政治・行政に外国人の登用を
信長は宣教師を活用した
政治家の方々には申し訳ないが今の日本は政治家が信用を失い
結果的に経済や教育といった重要な分野も危機的な状況に突入し
つつある。
日本国の象徴は憲法上天皇であるが、現実には政治がまともで
あれば国は正しい方向に進む。政治とはそれほど大きな影響力を
持っているが残念ながら現在は逆の方向に向かっている。
民主党には人材が多く政権交代は誰もが期待したが公約と逆の
政策を進めるなど怒りすら覚える状況はどうしてであろうか。政
権を取って二年足らずで多くを期待するのは酷かも知れないが世
界情勢を勘案するとそんなことを言っていられない。戦後の日本
にはまともな政治家がおらず戦後七十年近くなろうとするのにア
メリカの属国の状態にあり国民は貧困に喘いでいる。
本紙で何回も述べているが日本を悪くしたのは日米安保条約で
ある。吉田茂首相がサンフランシスコ講和条約を結んで日本が正
式に独立した後の一時間後彼は誰に相談することもなくアメリカ
との安保条約に署名したのである。しかし吉田はこの条約は日本
に大変な禍を持たす可能性があるとして随行した後に首相になる
池田隼人を調印に同席させなかった。つまり吉田は安保条約は多
分日本の真の独立を阻害すると考えたのだと思うのだが、当時の
日本の状況から止むを得なかったのかも知れない。問題はその後
現在に至るまで安保条約に疑問を呈した首相がおらずアイゼンハ
ワー大統領や岸首相が問題視した程度であった。要するに日本は
この七十年近くアメリカの過保護の下で生きてきた。終戦後の私
たち子供の世界は喧嘩が強くなければガキ大将の家来になるか常
にボコボコに殴られ死亡することさえあった。人間は強くなけれ
ばいけない、負けてはいけない、これが生きる上の道理であった
。そしてこの道理に最も反するものが過保護であり、アメリカと
親の過保護で育った現在の日本の中核をなす世代ははっきり言っ
て人間の道理を知らない。安保条約の下で経済は一時的に強くな
ったこともあったが結局は失われた十年とその後の十数年合計二
十年以上に亘って経済は停滞し社会は崩壊状態である。遠からず
総選挙があるという。民主党は頼りないし自民党政権には戻りた
くない。公明党や共産党は特殊であり結局選挙に行かないという
のが国民の多くを占める。これは議会政治の崩壊であるが従来か
ら投票率は五十から六十%でありそもそも政治が軽視されている
。なぜか。政治や行政が国民に信用されていないからである。
突飛な提案だが政治・行政に外国人を雇ってはどうであろうか
。聞くところによると小渕政権のころ日本の政治家が余りにお粗
末であることからゴルバチョフやサッチャーを雇うことを真剣に
考えたという。また海部内閣の時には行政に詳しい優秀な官僚を
大臣に登用することを真剣に考えたという。一般的に政治家は世
間の事情に疎すぎる。プライドばかり高く謙虚さがない。首相や
大臣になったからといってすべて自分で処理しようとする考え方
自体が間違っている。また公務員も課長くらいになると保身に走
り出す。結局日本の行政を真剣に考えているのは政治の色に染ま
っていない各省の係長くらいまでで実際に日本を動かしているの
は各省の係長クラスであろう。大会社でも同様で日本の政治や経
済に大きな影響を与えている三菱や三井グループを実質的に動か
しているのは係長クラスかも知れない。
私見であるが日本の官庁や大会社の係長クラスの人たちは世界
に比類が無いほど優秀である。欧米のトップダウン社会と違って
ボトムアップ社会の日本では当然のことかも知れないがこのよう
なシステムにシガラミに染まっていない優秀な外国人を雇って組
み合わせば日本の社会は様変わりすると思う。例え首相が外国人
でも一向に構わないと思う。アメリカでは誰も予測しなかった有
色人種の大統領が誕生した。インドでもイタリア人が首相に選ば
れた(彼女は辞退したが)。
歴史を見ても織田信長の時代西欧ではスペインやポルトガルが
中南米の現地人を虐殺して自分たちの領土とし、次はアジアを狙
ってその地ならしのため日本に多数の宣教師を送り込んだ。信長
はその意図を見抜き彼らを利用し世界情勢を勉強し世界戦略を立
てたという。つまり宣教師を部下とし信長の世界戦略の頭脳とし
たのである。その後スペインの無敵艦隊がイギリスの海賊海軍に
破れ世界はイギリスの支配となるのであるが七つの海を支配した
イギリスもそう急には強くなれずヨーロッパのごたごたが続いて
いる間日本は江戸時代という安泰な政権を維持することができた
のである。
現在の日本で外国人を悪い言葉で言えば利用していない分野は
政治・行政しかない。政治・行政が外国人の力を借りてはいけな
いという道理はないしもし法的に支障があるならば法律を変えれ
ば済むことである。
ただスカウトは面倒である。野球を始めスポーツ界のようにス
カウトを職業とするシステムが必要になってこようがさして難し
いことではあるまい。私がワシントンで勤務していてカーター政
権が誕生するときアメリカ政府より書簡が来て二千名の行政官が
失業するので自由に雇って欲しいとの要請があった。アメリカで
は政権が代われば各省の課長以上はすべて代わるのである。
行政官ばかりでなく政治家や実業家をもっと外国から自由に雇え
る社会にすれば前述の通り係長クラスの優秀な若者が多い日本で
あれば外国人のパワーと大胆な発想が結び付き予想外の活躍が期
待でき社会に活気が出て経済が立ち直り社会もまともになる可能
性もあるのではないかと思うのである。
**国際民族文化研究所**
目的:歴史 目的:歴史を研究することによって現在や未来を検
証する個人研究所
主宰:三枝篤夫
住所:埼玉県狭山市
メール:saegusa46@hotmail.com
実績:本名で過去数冊の出版実績あり
研究所機関紙「きんもくせい」(本紙)をメルマガ等で配信
その他:メルマガ、ブログで受信の方は機能上新聞の形でなくベタ
打ちになりますのでご容赦ください
**悪戦苦闘の株取引**
私の知人は日本の国債は信用できないとし多額の損失を承知で売
却した。
日本の国債が1%から8%外国人の所有になり増えたという。日本
の金融機関もいざとなれば自分を守るため国債を禿鷹ファンドに売
るであろう。
財務省のワンマン幹部の言うとおり増税路線を突っ走る現政府は
国家の危機を本当に分かっているのであろうか。消費税を上げて景
気が良くなった例は外国にない。そもそも日本には様々の税金があ
り消費税は二重課税の性格であるが消費税を導入した竹下元首相の
責任は重罪に当たる。
歴史推理小説 その時思った
(本短編集は真の歴史研究を目的とし英雄たちが決断をするとき何を
思ったか推測により記述したもので、歴史上の事実関係には極力忠実
に従いましたが、主人公が思ったことや周囲との会話は推測でありそ
の意味で歴史推理小説として位置付けました。三枝篤夫著)
第ニ話 東條英機とフランクリン・ルーズベルト
ほとんどの日本人とアメリカ人は戦争をしたくなかった。昭和天皇と
東條英機首相は全力を尽くし日米和平を目指し戦争を避けようとした。
ルーズベルトも国民の九割が戦争に反対であり、彼自信も障害者として
苦難の道を歩んだ経験から弱い立場の若者を戦場に送ることは忍びなか
った。しかし、なぜ日米は戦うことになってしまったのか。
その十六 世界を変えた蒋介石の反抗
乙案があることを暗号解読で知っていたハルは甲案については関心を示
さなかった。野村大使に対し中国との和平が成立した場合日本軍の撤兵の
規模はどの程度かといった質問を野村大使にした程度で交渉を積極的に継
続しようという意欲は見せなかった。野村大使はアメリカ側の反応が思わ
しくないことを悟り東郷外相と協議し十一月二十日来栖大使を伴いハル国
務長官に乙案を手交した。乙案は日本軍が南部仏印から撤退する代わりに
石油の供給を元に戻すというもので日本としては最終的な妥協案であった
。ハルは「十分検討した上で返答させていただきたい」と述べ同案を受け
取った。
ルーズベルトは乙案をアメリカとしては受け入れることが可能であると
考え「日本がこれ以上南進しないことを条件に日本に対する経済緩和を緩
め石油の供給も元に戻す。またアメリカは日中の問題には取り敢えずは干
渉しない。取り敢えず三カ月間日米交渉を続け、それ以後については改め
て考える」とする暫定協定案を作成した。この協定案は日中間の問題は日
本に任せるというもので乙案より柔軟な内容であるがその理由はルーズベ
ルトとしては国民や陸軍海軍が戦争に反対しているのみならずルーズベル
ト自身大統領選挙で戦争には巻き込まれないことを公約としていたのでア
メリカとしてもどうしても戦争を避ける必要があった。ルーズベルトはハ
ル国務長官に五カ月交渉を続けるよう指示したがハルやホプキンス顧問は
天皇や東條首相が親電まで考えていたことを考慮し三カ月あれば合意でき
ると考えルーズベルトもその意向に従ったものである。この暫定協定案は
アメリカがドイツや日本と戦うための準備期間を設けるため画策したとの
考え方が多くの学者や識者の常識のようになっているが、アメリカ世論の
九割が犠牲ばかり多く得るものが無かった第一次大戦の経験から戦争に巻
き込まれることに反対であり(ギャラップ調査等)また陸軍や海軍も前述
のとおり戦争準備ができていないことを理由にルーズベルトの対日経済制
裁(石油禁輸等)に反対であったこと、戦争をしないことを公約に掲げ大
統領になったルーズベルトが対日石油禁輸をしたのは日本軍の中国進出と
南進に対する制裁を画策したのであって日本と戦う積りでないことは明白
である。なぜならばアメリカは例え日本やドイツと戦いたくても国民の反
対で軍備増強の法案が議会を通る筈がないからである。またルーズベルト
自身世界恐慌対策に忙しく国民の生活を保護するのに手いっぱいであり国
民に向かって戦争参加を呼び掛けるなどあり得ない状況であった。
ルーズベルトをはじめアメリカの指導者が乙案に好意的であることを東
郷外相を通じて知った東條は思った「アメリカは国民や軍の反対で戦争は
できずルーズベルト自身も戦争はしないと選挙公約で約束した。しかし陥
落寸前のイギリスを助けようとする強硬派の勢力は強く何とか日本に戦争
をけしかけている。また中国のマーケットを日本に渡すまいとする力も強
い。外務省の情報では乙案で日米合意が成功するかも知れないとしている
が陸軍の情報では強硬派の力は決して侮れないとしている。最後まで油断
できない状況が続くと思うが最後の手段は陛下からルーズベルトに日中の
和平の仲介を要請してもらうことになるかも知れない。その時は日本とし
てはアメリカが満州国さえ認めれば日本軍は中国から撤退するという条件
を飲まなければならなくなる。アメリカとの戦争が回避されさえすれば靖
国に眠る犠牲者は満足するか」。
ルーズベルトはホプキンス、ウオーカー、ハルの他陸軍長官、海軍長官
と暫定協定案の最後の詰めを行った。ルーズベルトが言った「天皇や東條
は私が親電を打てば日中の仲介を私に委ねるところまで軟化した。暫定協
定案で交渉は進展するものと思う。あとはハル国務長官の外交能力に委ね
るしかないであろう」。
ハルは既に七十歳を超えた弁護士あがりの外交官でありアメリカ史上最
高の国務長官としてルーズベルトの信頼が厚かった。彼は終戦後ノーベル
賞を受賞するほどの外交哲学を持っておりその基本は国家の独立や内政不
干渉といった基本を重視しており、その精神の基本は親日的であったが日
本に対してはいわゆるハル四原則と言われる外交哲学を主張し日本に恰も
難問を押しつけるように見えた。
ハルが言った「私も暫定協定案が日米両国の和平に繋がるものと思って
います。しかしアメリカは問題ないとしても中国、イギリス、オランダ、
オーストラリアといったアメリカの友好国の意見も聞いて同意を得る必要
があると思います」。このハルの意見には全員が賛成したが結果的にこれ
ら友好国の反発を買うこととなりとんでもない方向に進むこととなった。
以下次号
**家庭菜園奮闘記**
冬の畑は楽で楽しい。まず雑草が生えない。作業をしても汗をかかず楽
である。作物が霜に当たり味がよくなる。
ホウレンソウ、小松菜、大根、カブといった野菜の味は格別である。
野菜の値段が高騰し小松菜など倍近くの値段になっているが畑には濃い
緑の小松菜が勢いよく成長している。家計の助けになるばかりかビタミン
の補給に役だっている。
3月にはジャガイモの植え付けをするのでぼつぼつ畑の掃除を始める必
要がある。
Hideki Tojo, and Franklin Roosevelt (tentative translation)
Are you going to continue to fight with Chiang or seek a peace process
or withdraw military presence from China? Which is Army’s selection?
Tojo answered that behind Chiang there is American power, which makes
Japan to present military power in China though I personally wish to
withdraw military presence from China. Kishi said if you cannot withdraw
military presence in China, the most important thing is not to confront
with the United States. General! Can you do it? Tojo replied that it will
be possible to share the interest and right in China with the United
States by negotiation, but it is a kind of power game which has possibility
of trigger of confrontation and has to overcome this difficulty.